子どもはファッションではありません。

昔は、子どもが生まれること=いろいろな我慢を強いられる生活が始まること、でした。髪振り乱して育児だけに奔走する、と言えば大袈裟かもしれませんが、カットにいくこともままならない・・・なかなか自分の身をかまうこともできず、オシャレなんてできない・・・息抜きの外食もできない・・・電車に乗る時にはベビーカーを畳み、子どもを抱っこして、泣くと他の乗客にイヤな顔をされる・・・
 けれど、今では、そういうことのほとんどが「???の世界」ですね。
短時間のベビーシッターシステムや託児施設が充実してきましたし、ベビーカーは完璧に市民権を得ていますから、デパートでも電車でも畳む必要なく、むしろ、ベビーカーのために、普通のお客様が我慢をする時代です。
欧米化したカフェが増え、席に横にベビーカーをおける広いテラス席があったり、子ども向けメニューが充実した子連れ歓迎のレストランも増えました。親子のファッションショーに満員御礼が出たり、「ママのオシャレ」は常識になっています。
 こんな世の中の変化によって、子育て中も、現在では我慢を強いられることは最小限になっているように思います。それは、とても素敵なことですね。何も自分が楽しめないからという理由で子育てのストレスを貯め、ついつい子どもをそのはけ口にして、イライラを我が子にぶつけてしまう、ということも減ってきたでしょう。

けれど、人の欲望とは尽きないものです。1ができたら2を、2ができたら3を、3ができたら4を・・・言い換えてみれば、昔のお母様達は、「0」になってしまったことによって、好むと好まざるとに関わらず、ある意味、諦めの境地で「1や2や3ができるようになる日を待ち、ひたすら子育てに没頭」できたのでしょう。

今は、子どもはひとつの「ファッションアイテム」になりつつあります。
素敵なお洋服、オシャレなバッグ、かわいい我が子・・・その装いで町に繰り出す。古いようですが、私には少し違和感があります。
 まだまだ日本経済が元気な頃、ターゲットは若者ではなく、「子どもと高齢者」と言われたことがありました。しかし、高齢者を対象とする世界には残念ながら華やかさはありません。それに引き替え、子どものみならず、ママ、そしてパパまで含めてターゲットにする世界は、勢いがありますよね。
 でも、やっぱり間違ってはいけません。子どもは、バッグや靴、洋服と並ぶ「ファッションアイテム」ではありません。生き物であるペットも、ファッションアイテムになる時代ですが、犬や猫と「我が子」は違います。

宗教的な意味合いではなく、ある意味、子どもは社会からの預かりもの、であると思うべきではないか、と感じることがあります。
 ある一定の年齢まで、親が子どもを預かり、立派に社会に貢献し、人のために役立つ人材を育てる義務と責任を負っている・・・そのくらいの覚悟がなければ、一人の人間を大人にまで育て上げることは不可能です。

私立での教育を求めるご家庭は、きっと、社会の中でも経済的にも、その他いろいろな面でもハイクラスのご家庭だと思います。そんなご家庭のご両親だからこそ、こういう「子どもを育てる基本姿勢」を再認識し、いまどきのコマーシャライゼーションにまんまと乗ってしまうような軽薄な親になってはいけません。

子どもの服装にこだわりを持ち、我が子のオシャレを楽しむ・・・親子で素敵に装う・・・それはとっても楽しいですね。でも、それに溺れたり、うつつを抜かしてしまっては、ダメー!
社会人の卵である我が子であることをお忘れなく!