あなたはわが子に話させていますか?

ここ10数年、子ども達の言語能力が低下してきています。英語や外国語、ではありません。母国語である「日本語」を話す力、理解する力が極端に落ちてきているのです。
 こんなに町には言葉があふれ、外国からもどんどんと新しい言葉が入って来て、カタカナ表記することによって受け入れられている今日、どうして「子ども達の言葉」は赤信号なのでしょうか。ここでちょっと3歳児のご家庭をのぞいてみることにしましょう。

腕白坊主のさとる君、幼稚園の年少さんです。今日も幼稚園から帰った後、マンションの付属公園でお友達と遊んでいます。そろそろ帰ってくるであろうさとるくんを、お母様はリビングで待ていました。

さとる:「ママー、ただいまー!!」
ママ: 「さとるちゃん、おかえりなさーい。」
さとる:(何か言いかけると)
ママ: 「わー、すごわねえ、手も足もどろんこじゃなあい。どうしたのー?」
さとる:「あのね!(と話そうとすると)」
ママ:「わかった!ゆうくんとお砂場にお水をいれたんでしょー。ね、そうでしょ。」
さとる:「うん、それでね(と続けようとすると)」
ママ: 「そりゃあ、楽しかったでしょ。ママね、知ってたのよー。ゆうくんのママと、きっといつかあの子達、ママ達の目を盗んでお砂場にお水をいれるなって。それが今日だったってことねえ。きっとゆうくんママも苦笑いしてるわよ。他に誰が一緒だったの?」 さとる:「えーっとね・・・(と考え始めると)」
ママ: 「むー、まゆちゃんとしんくん!どう、あたり?」
さとる:「うん、あたり!あのね(とこれから説明をしようとすると)」
ママ: 「さ、そこで待っててね。お雑巾をとってくるから。」
さとる:「ママ、ぼくね(と言いかけると)」
ママ:「のど、渇いたわよね。ウーロン茶にする?ジュース?・・・いや、やっぱりウーロン茶にしましょ!あのジュース、甘すぎたし・・・」
 とお母様は洗面所に消えていきます。さとるくんは玄関で立って、お母様を待つのです。
さとるくんが帰宅してから話した言葉は「ただいま」「あのね」「うん、それでね」「えーっとね」「うん、あたり」「あのね」「ママ、ぼくね」だけです。

いかがですか?思い当たる節はありませんか?
最近は、まわりの大人の目が行き届き、子どもは何も言わなくても、何もしなくても、何でもさっさとまわりが解決してくれます。
 外から汗びっしょりで帰ってくると、目の前にさっとタオルが出てきて、ぱっぱとシャワーをさせてくれる。
 着替えて出てくると、すでにテーブルの上には冷えたむぎ茶やウーロン茶。あとはテレビを観るだけです。
 たまにケンカをしても、情報通のママが、ママ友経由で真相を調べ、対処してくれる・・・
これでは、子どもの言葉、表現力は育っていくわけはありません。

こんな悪条件の中でも、子どもは家庭生活の中で、また団体生活が始まると、保育園や幼稚園の中で、経験の中から言語能力を発達させていきます。
 しかし、日頃から「一生懸命に」話す習慣がついていないため、また一生懸命に話さなくても、お父様やお母様が十分に理解してくれるという習慣やその安心感から、今の子ども達の言葉は、どんどんと「単語化」していっているのです。また、擬態語での表現も増え、感覚的に話すとでも言うのでしょうか・・・文章を構成する力さえ劣ってきていることを認識しなければなりません。これは、私のお教室で、年少児と話している例です。

私:「○○ちゃん、昨日の日曜日は、どこかにお出かけをしたの?」
 ○○ちゃん:「うん、海。」
 私:「そう、良かったわねえ。昨日はお天気も良かったから、楽しかったでしょう。誰と一緒に行った の?」
 ○○ちゃん:「パパ。」
 私:「電車で?」
 ○○ちゃん:「ちがう。」
 私:「じゃあ、何で行ったのかな?」
 ○○ちゃん:「車。」

決して大袈裟に書いているのではありません。多少の差はありますが、たとえそれが5歳児、6歳児であっても、なかなか「文章としては応えられない」ことが多いですねえ・・・
 以前は、おしゃべりの女の子などは、尋ねてもいないのに、私の後ろを付いて回り、「あのね、せんせい。きのうね、パパとー、ママとー、いっしょにくるまでねえ、えーっと・・・うみにね、いったんだよ。いず。いずの海!おさしみ、食べたの。」という具合に、稚拙とは言え、一生懸命に話してくれたものです。
 家事に追われ、少しでもパッパと済ませたいママが、「あのねえ」「えーっとね」という言葉の多い我が子のまどろっこしい話を、じっと聞いて待つのは骨の折れるものです。しかし、子ども自身にしっかりと話させないと、いつまでたっても「ポツポツしゃべり」しか出来ない子どもになってしまいます。

それから、言葉についてもう一つ。
言語力の著しい低下とともに問題視されているのが、「言葉の乱れ」です。中でも、今の女子高生の言葉の乱れ方は確かに世紀末を感じます。
 しかし、それを時代のせい、世の中のせい、テレビやマスコミのせいにして、頭を抱え、耳をふさいでいるだけではどうにもなりません。言葉は習慣的に身についていますので、一朝一夕に修正することはなかなか難しいものです。けれど、直させるというよりも、新しい言語として?!正しい日本語の使い方を教えなければなりません。
 ただ、忘れてはならないのは、ほんの一握りとは言え、そんな女子高生の中にも、きちんとTPOをわきまえ、正しい日本語を話すことのできる子ども達もいる、ということです。そういう子ども達の言葉、言語力は、概ね、学校で教えられたものではなく、幼い頃からの家庭教育、家庭での中で「言葉の大切さ、言葉は心のあらわれ」と、躾の一環としてと教育された子供達なのです。

言語能力とは、聞いて、読んで言葉を理解する能力であり、同時に、考えたこと、感じたことを話す能力です。「人と人が理解しあうため」の手段である言語能力を育てなければ、「人と人とのつながり」にも支障をきたすということにもなるのです。
 人が「考える」ために使うのも「言葉」です。「理解し合う」ために使うのも「言葉」です。子どもにとってのお手本であるお父様、お母様が、正しい日本語で話し、しっかりと子ども達に話させてあげてください。そして、きちんと聞いてあげましょう。もちろん、「幼児語がかわいい!」などと思わず、年齢とともに正確な日本語を教え、ボキャブラリーを増やしてあげることも大切です。
 パパやママが、一生懸命に自分の言葉を聞いてくれる、という思いは、子ども達の話す意欲を育てます。話すことが楽しくなれば、また少しでも上手に話そう、と思うようになりますよ。