心を育てる ― 本当の家庭教育

「賢い子供に育てたいんです。どんなことをすれば良いですか?」
 「小さい頃からのおけいこごとは、効果的ですか?」
 「ひらがなや数字は、少しでも早く教えるほうがいいのですか?」
 「将来、私立の小学校を考えるかもしれません。何をさせるのが一番いいですか?」

私がよく受ける質問です。私自身2人の我が子が幼かった頃、母親として、やはり真剣に考えた事柄です。

では、「賢い子ども」とは、どんな子どもなのでしょうか?それについて考えみましょう。
「賢い子ども」のイメージは、人それぞれに違うでしょう。
 たとえば・・・
★ 幼いけれどひらがな、カナカナ等の字が読めて、本を上手に読む。
★ 自分の名前程度ならば、文字が書ける。
★ 極々幼い頃からお稽古を始め、ピアノやヴァイオリン等の楽器が演奏できる。
★ 水を怖がらず、幼稚園児ですでにクロールで10メーター以上は泳げる。
★ 絵を描いたり、折り紙などで工作をしたり、芸術的センスがあり、巧緻性に優れている。
★ コンピューターの子ども向けのソフトを、2つ3つ、問題なく扱える。  etc.
 いかがでしょう?あなたの「賢い子ども」のイメージは、この中に何個ありましたか?それとも、ひとつもなかったでしょうか?

確かにここ10年、このようなことを複数個できる、という「スーパーチャイルド」は増えました。
 しかし、19年間、小学校受験の準備のサポートをし、多くのお子様達を育ててきた私が最近とみに思うことは、最近の子ども達は、とても「幼く感じられる」ということなのです。上記のような優秀さを持っているにも関わらず、接していると、それが5歳児でも「3歳児」と接しているような錯覚に襲われる・・・
 それはなぜだと思われますか?

ここ数年、ずっとずっと私はそのことが何に由来しているのか、を考えてきました。そして、多くの子ども達を観察、分析して導き出した答えは、「教えられた」ことによって、技術を会得したり、知識を得たりしたお子様は多いけれど、自分で「感じたり」「考えたり」「伝えたり」することが育っていない、そういう習慣が身についていないことによって、スーパーチャイルドでありながら、実際には「赤ちゃん」でしかない子ども達・・・とでも言うのでしょうか・・・

☆ 美しい花々、木々の緑を見て、「ああ、とってもきれい!すてき!」と感じる感性。
☆ 傷ついたものを見て「かわいそうだ・・・」と哀れみ、自分にしてあげられることは無いのだろうか?と思わず考えるやさしい気持ち。
☆ 楽しかった一日が終わり、お布団に入った時、「楽しかった!うれしかった!」とその日に感謝をする気持ち、などなど。

こういうことは、机に座って「教えられて学ぶ」ものではなく、これらはすべて、子どもが幼い頃から、家庭の中で、一番身近なご両親やまわりの大人から自然に身につけ、育まれていく「心」です。

たとえば、こんなこと・・・・
   季節は早春。3月に入って、まだまだ寒い日が続いていながらも、どこかに春の息吹が感じられる日。大地はまだ冬の色。でも、よく目を懲らして見てみると、固い地面のあちらこちらに、黄緑色の小さな新芽が芽吹いています。あっ、あちらの桜の枝も、昨日までは裸の枝だったはずなのに、まあ、今日はちっちゃな蕾がついています・・・
「すごいはね、自然の力って。もう春がそこまで来ているのね。もうすぐ桜が咲いて、色とりどりの春のお花が咲き乱れる季節がやってくるわね!楽しみね!」

「ねえ、見てごらんなさい。あなたが大好きで、毎日抱っこしているぬいぐるみのくまちゃん、お母さんが気づくと腕の後ろ側がほころびていたの。ママの病院に入院させてあげてね。今夜は少し寂しいかもしれないけれど、ママがくまちゃんのお医者様になって、元通りの元気なくまちゃんに治してあげましょう。」

「まあ、あなたのお気に入りの黒いピカピカのお靴、窮屈になっているのじゃないかしら?あなたはどんどん大きくなっているのね。パパもママもうれしいわ。さあ、そのお靴に「長い間ありがとう!」って言って、そしてさよならをしましょう、長い間ご苦労様ってね・・・」

幼児期のお子様に一番大切なことは、「心を育むこと」です。知識や技術を習得させることが、賢い子どもを育てる教育だと思ってはいけません。
 どんなに上手にピアノが弾けても、一生懸命にビスケットのかけらを運ぶアリを見て、「私、こんなの気持ち悪いからきらーい!」と、じゃーっと靴で踏みつぶすような子どもだとしたら、どうでしょう?すらすらと字が読めて、児童書を十分に読みこなすことが出来ても、空に向かって一生懸命に咲く花を、いとも簡単に、意味もなくむしり取ってしまう子どもになっていたら、どうでしょうか?

さまざまな能力に長けた優秀なお子様でも、心が貧相で、自分で物事を考える習慣のないママの指示待ちしかできなかったら、とてもかわいそうです。
 その子達はきっと、幼い頃から「知識と技術」を磨くことのみに時間を費やし、その成果だけで子どもに評価を下していた親達のもとに育った、かわいそうな子ども達なのだと思います。
 子ども達には責任はありません。むしろ、心や感性を育ててもらえなかった子ども達は、被害者なんです。

今、小学校や中学校、様々な教育の現場で、学級崩壊やイジメなどの深刻な問題が起こっています。このような教育環境の中で起こる問題は、「子供の未成熟から生まれる問題」がほとんどであることをご存知でしょうか?
 優秀と呼ばれていても、「意識の中には自分しかいない」「相手を思いやれない」という子ども達や、「自分の感情を相手に伝える意識がない」「上手く言葉で自分の思いを伝えるだけの言語能力が育っていない」子ども達や、その多くは幼い頃からの家庭教育、家庭環境に問題の根元があったはずです。
10歳を過ぎ、いろいろと問題が起きる時期になって「いくら勉強が出来ても、人を思いやれないのはいけない!」などと叱り、悲嘆にくれても、何の解決にもなりません。

自分の目で見て、耳で聞いて、美しいものを美しいと感じ、かわいそうだと感じた時には、心を痛め、涙を流せる子ども・・・そういう真っ当な成長ができるように、毎日の家庭生活の中で、心と感性を育てていきましょう。