★ 「普通の子」で良いわけはありません!

「我が家は普通で良いのです」「うちの子は、普通の子です」それでは、私立校を目指す意味はないでしょう?
そこに「特別のもの」を求めるからこそ、個性のある私立幼稚園、私立小学校を目指されるのだと思います。
普通で良し、と思うなら、私立校を目指すような、大それた事はやめましょう。普通を選ぶということは、楽な道を選ぶということです。それはご自分を、そして家族を甘やかすこと以外のなにものでもありません。
 特別のものを目指す、特別を求めるのであれば、まずはご自分達家族を「特別」にすることが大切であり、それは必須のことです。そのことを、決して忘れてはいけません。
 自分達は特別でなくては!と意識を持つことから、すべてが始まります。装いも、立ち居振る舞いも、言動も、すべて「特別」であろうとすることから、生活の中に良い緊張感が生まれ、その緊張感こそが、一段上の品格を育てていきます。

ここでちょっと、おもしろいお話しをご紹介しましょう。
人生の半分以上はすでに関東暮らしの私ですが、生まれ育ちは大阪です。そんな私の母校は創立が大正14年という伝統校ですが、やはり大阪の学校ですから、そこで生徒達が話す言葉は「大阪弁」です。正確に言えば、イントネーションは大阪弁で、かなり品の良い大阪弁の中での標準語、とでも言うのでしょうか。
 その大阪弁。敬語はとても便利で、動詞の語尾に「〇〇はる」という言葉を付け足せば、すべて敬語になります。たとえば「食べる→食べはる(召し上がる)」「言う→言いはる(おっしゃる)」「来る→きはる(おいでになる)」「着る→着はる(お召しになる)」「行く→行きはる(いらっしゃる)」etc. etc. こんな具合です。
 しかし。我が子達が関東で私立の幼稚園、小学校に入ったとたん、私自身もその世界観の中に組み込まれました。「南坊さん、どうぞお先に召し上がって!」「南坊さん、どうぞおかけになって!」「・・・そうなのねえ、だからそうおっしゃったのねえ・・・」「了解よ!じゃあ、いらしてね!」

私が耳にする標準語の丁寧語や敬語は、すべてがとても美しい響きでした。そして、私も毎日その中にいて、「〇〇はる」ではなく、きちんと正しくてきれいな日本語を話す習慣が付いてきた頃、オセロの駒が順番にひっくりかえっていくように、さまざまなことが一度に替わっていくように思えました。その心地よい緊張感・・・私はやっぱり「自分は特別な世界観の中に存在しているのだな」ということを実感させました。  最初は背伸びに思えることでも、それに慣れてくれば、もはや背伸びではなくなります。ご自分達を「普通」に留めるのではなく、最初は少しは大変でも、「特別の世界観を求める、特別の家族」を意識して暮らしてください。そして、「普通で良い」と思うのではなく、意識そのものを高めていくことを心がけましょう。そうすれば、きっとあなたのご家庭は、自然にワンランク上の言葉づかい、立ち居振る舞いが身に付き、ご自分で鏡に映す顔が、かなり高貴に見えるようになっていくでしょう。